Bernie's tune blog

モダンジャズ時代の名盤をピックアップ

ウエストコーストジャズの始まり

評論家油井正一は自身の著書『ジャズの歴史物語』の中で、「1950年を契機に、アメリカ東部のミュージシャンが大量に西海岸へ移動し、ウエスト・コーストに一時期を画したのも、東部と西部のいちじるしい景気偏差にもとづくものだった」と記しています。


エストコースト・ジャズ誕生の背景には、戦争特需もありました。
1950年に朝鮮戦争が勃発すると、兵站基地としてアメリカ西海岸が活性化しました。これで西海岸に享楽的なムードが生まれ、優秀なミュージシャンが集まり、スコア音楽への需要が高まったといえるでしょう。


さらに、戦争景気は西海岸の映画産業をも活性化させました。

映画には音楽がつきものですが、映画音楽は基本的にスコア音楽です。それまではオーケストラに任せていた映画音楽に、ジャズ・ミュージシャンが食い込むようになりました。ウエストコースト・ジャズの代表ミュージシャンのひとりであるジェリー・マリガンシェリー・マンも、東海岸からハリウッドに移り住んでいます。

彼らを中心に、スタン・ケントン楽団やウディ・ハーマン楽団といった、ジャズの中でも特に精緻なスコアを演奏してきた楽団のメンバーがハリウッドに移り住み、映画音楽の製作現場に食い込みました。ウエストコースト・ジャズの興起はここから始まります。

後に映画音楽やクラシック界で活躍することになるアンドレ・プレヴィンも、活動初期はウエストコースト・ジャズのピアニストでした。


ちなみに、ウエストコースト・ジャズの映画サントラとしては、チコ・ハミルトン楽団が登場する『成功の甘き香り』、ジョニー・マンデルが作曲や編曲に関わった『私は死にたくない』『ジェームス・ディーン物語』などが有名です。

ウエストコーストジャズとは?

エストコースト・ジャズ・・・


「ウエストコースト・ジャズ」とは、音楽ではなく地域でまとめた呼称なので、そこには色々なタイプの音楽があります。それでも同時代のイーストコースト・ジャズと比べると、そこにある傾向が見えてきます。


白人ミュージシャンが多く、スコア化されたアンサンブルが目立ち、熱く激しい演奏よりも洗練されたさわやかなサウンドが好まれ…ウエストコースト・ジャズのアルバムを10枚、20枚と聴き進めていくと、ほとんどの人がこうした特徴を感じるでしょう。特にアンサンブル面では、誕生から100年以上が経過した長いジャズの歴史の中でも、これだけ見事なスコアが集中して生まれた事はなかったと言えるほどです。

 

 なぜこういう事になったのか。その理由は、ウエストコースト・ジャズの生い立ちを見ると、ある程度の説明がつきそうです。

 

(ヨーロッパ作曲家の亡命)

白人ミュージシャンと優れたアンサンブルの多さにつながった原因のひとつは、クラシックとの再接触にありそうです。


録音で遡る事の出来る最初期から、ジャズはフォルクローレではなく、プロフェッショナルが演奏するエンターテイメント、産業音楽でした。歴史上の都合から合衆国でクラシックの発展が遅れた事もあり、合衆国音楽で最も高度なものだったとすらいえます。こうしたエンターテイメントであったジャズが、ヨーロッパ音楽であるクラシックと再衝突する機会が生まれました。第2次世界大戦によるヨーロッパの作曲家の亡命です。

 

フランス近代音楽で中心的な役割を担った「フランス六人組」のひとりダリウス・ミヨー、12音列技法で現代音楽のメインストリームを築いたシェーンベルク、「火の鳥」「春の祭典」といったセンセーショナルな作品でクラシック作曲史を大きく動かしたストラヴィンスキー。こういったヨーロッパの大物作曲家が次々に合衆国に亡命してきました。有名な音楽教師であるナディア・ブーランジェも、合衆国の音楽のレベルを引き上げるために、毎年合衆国で夏期講習を行うようになっていました。 

 

こうして、単純な大衆音楽しかなかった合衆国の音楽のレベルが引き上げられました。ハリウッド映画『エデンの東』や『理由なき反抗』で素晴らしい音楽を書いたレナード・ローゼンマンは、アメリカでシェーンベルクに師事して育った作曲家です。『風と共に去りぬ』や『カサブランカ』のスコアを書いたマックス・スタイナーに至っては、元々ウィーン生まれの移民です。

 

そしてジャズの中に、クラシック教育を受け、アメリカのシンプルな大衆音楽以上のところに踏み込んだミュージシャンが登場し始めます。レニー・トリスターノリー・コニッツといった先駆はいましたが、いよいよそれが百花繚乱のごとく咲き乱れたのがウエストコースト・ジャズのシーンです。

 

「テイク・ファイブ」で有名なデイブ・ブルーベックは、ミヨーに師事しています。ジェリー・マリガンのデビュー作はカノンとジャズ的なアドリブを融合させています。

 


Dave Brubeck, The Dave Brubeck Quartet - Take Five (Audio)


ジミー・ジュフリーの『Thesis』『Fusion』といった作品は、アルバム全体でドビュッシーラヴェルといったフランス印象派の和声が使われています。こうした音楽を学ぶ機会を持てたのは白人に限られましたし、またクラシックとの接触なくしてはこうしたアンサンブルは生まれ得ないものでした。


Whirrrr (Thesis)

 

 『VOICE OF BLUE 舞台上で繰り広げられた真実のジャズ史をたどる旅』(ギタリスト・高内晴彦)の中で、“ウエストコーストジャズ(中略)、実はミュージシャンに非常に高い熟練が求められるものです。クラシックでいうとモーツァルトと似ているところがあると思います”とも、書いています。 

はじめてのウエストコーストジャズ

エストコーストジャズの中ではじめて「あっ、この演奏いいな!」と思ったのは、ジェリーマリガンの”Bernie's Tune”(バーニーズチューン)でした。

ジャズを聴き始めてから半年くらい過ぎた頃と記憶しています。


Gerry Mulligan - Bernie's Tune (1952)


ジャズに親しみ始めたのは、S.ロリンズからでした。それもサキソフォンコロッサスやニュークスタイムといったハードバップ系が中心。力強くエモーショナルな雰囲気の演奏にひかれていましたから、ウエストコーストジャズのサウンドにはどうもなじめないでいました。

 ジャズは聞きなれるまで少し忍耐を要する音楽です。BGMとして楽しむものでもなく、それなりに集中していないと聴き手の気持ちには入り込んでこない少し厄介な音楽と思っています。


Sonny Rollins "Newk's Time" (Album) 430.65 Hertz


ジャズ初心者のための「聴き方」の解説本を結構見かけることが、そのことをよく物語っているようにも思います。


例えば、『挫折し続ける初心者のための最後のジャズ入門』です。ネーミングの上手さに思わず感心させられましたが・・・


このブログでは、'50年代初頭位からのジャズの流れを辿りつつ、今も聴き続かれているミュージシャンや演奏を紹介してまいります。


世界史的に見れば、ジャズの最盛期は第1次世界大戦でヨーロッパが沈み合衆国が浮上した1920年代の「ジャズ・エイジ」かも知れません。しかし音楽そのものから見れば、チャーリー・パーカーらの登場から始まったモダン・ジャズ期が、ジャズ最盛期でしょう。特に色々なスタイルのジャズが花開いた50年代は、モダン・ジャズの黄金時代と呼べそうです。


エストコースト・ジャズは、モダン・ジャズ黄金の50年代に、アメリカ西海岸で演奏されたジャズの総称です。チェット・ベイカーアート・ペッパーといったアドリブ・スター、ジミー・ジュフリーやジェリー・マリガンといった名アレンジャーなど、錚々たるジャズマンがその音楽を作り上げてきました。


Art Pepper + Eleven (1959) {Full Album}


この次からその生い立ちと、中心的な担い手となったミュージシャンやレコードを何度かに分けて紹介してまいります。